絵画専門店 Art Gallery MOTOKAWA

「壁の詩人」と呼ばれた画家 荻須高徳

ギャラリスト:本川 義則

荻須高徳が「壁の詩人」と呼ばれたのは、パリの古びた建物の壁に、長い年月を生きてきた人々の歴史や生活のぬくもり、そして街の魂を見いだし、それを詩情豊かな油絵の絵画として表現したからです。
荻須は、エッフェル塔や凱旋門といった華やかな名所よりも、観光客が通り過ぎてしまうような裏通り、古い商店、石造りの建物、雨風にさらされた壁を好んで描きました。
そこには、パリに暮らす人々でさえ見過ごしていた、日常の美しさがありました。

1935年~1936年作 パリ、モンマルトルの旧役場

古びた壁の中に歴史を見つけた

荻須高徳が描いた壁は、単なる建物の外壁ではありません。
長年の雨や風で変色した石壁、何度も塗り直された漆喰、剥がれ落ちた塗料、年月とともに刻まれた染みや亀裂。
荻須は、そうしたものを醜いものとしてではなく、長い時間が生み出した美しさとして捉えました。
パリの古い建物の壁には、そこで生活してきた人々の喜びや悲しみ、時代の移り変わりが染み込んでいるように感じられたのです。
彼は、そうした壁の表情を、重厚な絵具の質感と独特の色彩によって描き出していきました。
荻須にとって壁は、街の記憶を語り続ける存在だったのです。

1935年作 ジュッシュ広場の「ヴァン・タバ・リキュール」

フランス人が見過ごしていた日常の美しさ

荻須高徳がパリに渡ったのは1927年、彼がまだ26歳のときでした。
当時のパリは世界中から芸術家が集まる美術の中心地であり、荻須もその刺激を受けながら自分自身の画風を模索していました。
しかし、荻須が最終的に強く惹かれたのは、華やかな都市の表舞台ではありませんでした。
古い街角、小さな食料品店、静かな路地、使い込まれた建物など、パリの庶民の日常が息づく場所でした。
フランス人にとっては当たり前だった風景を、日本人画家である荻須が新鮮な感性で見つめ直したのです。
その絵を見たパリの人々は、自分たちの街に、これほど豊かな美しさが隠されていたのかと再発見することができたのです。
荻須の絵画は、パリの人々に、自分たちが暮らす街の魅力を改めて教えてくれる作品でもあったのです。

1966年作 鍵屋

人を描かずに、人の存在を感じさせた

荻須高徳の絵画には、人間がほとんど登場しません。
しかし、不思議なことに、その風景から人間の存在が消えることはありません。
荻須は、壁を描く理由について、次のように語っています。
「壁に人間がしみ出ている」
この言葉は、彼の芸術の本質を表しているといえます。
古い扉の向こうには人々の暮らしがあり、店先には商売を営む人々の営みがあり、壁には何十年もの生活の痕跡が残っています。
荻須は、人物を直接描かなくても、そこに生きる人々の存在を表現することができたのです。

1931年作 広告のある家「パリの屋根の下」

パリを描きながら、独自の絵画を確立

荻須高徳は、先輩画家の佐伯祐三や、パリの街並みを描いたモーリス・ユトリロなどから影響を受けました。
しかし、荻須は単に彼らの画風を模倣したわけではありません。
厚みのある絵具、落ち着いた灰色や褐色、しっかりとした建物の構成、そして壁の質感を捉える力によって、独自の絵画世界を確立しました。
そのため、荻須の絵画には、古い街並みの懐かしさだけではなく、建築物そのものが持つ力強い美しさがあります。

1976年作 オ・モカ・シャロンヌ

パリの人々に愛され、フランス社会からも認められた

荻須高徳は、単にパリの風景を描く外国人画家ではありませんでした。
長年パリに暮らし、街を歩き、人々と交流しながら、その文化や歴史を深く理解した画家でした。
その評価は、フランスでの数々の栄誉にも表れています。
1956年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与されますが、これは芸術活動や日仏文化交流への貢献が評価されたからです。
1974年には、パリ市からメダイユ・ド・ベルメイユを授与されましたが、これは長年にわたる活動がパリ市からも認められたからです。
1978年にはパリ市が主催する絵画の個展「オギス展」が開催され、パリ在住50年を記念した回顧展が開催されました。
また荻須は「日本生まれのパリ人」とも称されました。
外国からやって来た画家でありながら、パリという都市の文化の一部として受け入れられていたことを象徴する呼び名です。

1954年作 リュー・シャルル・マーニュ

「壁の詩人」という呼び名に込められた意味

荻須高徳は、詩を書いたわけではありません。
しかし、彼の描く古い壁には、言葉で説明し尽くせない感情や、過ぎ去った時間への郷愁が感じられます。
壁の染みや亀裂を描くことによって、人間の営みや街の記憶を表現する。
そんな世界を描き続けた画家を「壁の詩人」と呼ぶのは、非常に的確な表現だと思います。

1977年作 パナ二ア

荻須高徳がパリの人々に愛された本当の理由

荻須高徳がパリの人々に愛されたのは、単にパリの街並みを美しく描いたからではありません。
パリの人々が日常の中で見過ごしていた古い壁や裏通りに、歴史と人間のぬくもりを発見し、それを普遍的な美しさへと昇華させたからです。
荻須は、パリの華やかさを描いたのではなく、パリが長い年月をかけて育んできた生活の美しさを描きました。
そして、その街を深く愛し、生涯にわたって描き続けました。
荻須高徳にとって、古い壁は決して無機質な建造物ではありませんでした。
そこには、パリの人々の暮らしがあり、歴史があり、街の記憶がありました。
荻須高徳は、パリの壁を描いた画家であると同時に、パリの人々が生きてきた時間を描いた画家だったのです。
それこそが、彼の絵画が今も多くの人々の心に響く理由なのです。

1977年作 ガブリエル通り

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